「ご冥福をお祈りします」ツイートに違和感を覚えるという話について

昨日TwitterのTL上で「ご冥福をお祈りしますツイートに違和感を覚える」という話が出てた。
その感覚はまぁよくわかるのだけれども、Twitter上に限らずあれは文字通り個人の冥福を祈るだけでなく
ネットやTVなどのオープンな場においては「なんてこったい・悲しい…」だけでは話をしめられないので
読者・視聴者向けにくっついてる定型文でもあるのでそういうものであるととらえたほうがいい。

誰それがなくなった(誰かに伝えるべき情報)
悲しい(その人の感想)
ご冥福をお祈りします(話題の区切り)

こんな感じ。
ご冥福をお祈りした後で故人の思い出話がはじまるパターンもちょいちょいあるけど。
彼らは別に全世界に向けて冥福を祈ってることをアピールしたいわけではない。

もっとも俺は故人が浄土真宗だったりキリスト教徒だったりということを考慮して他の言葉を選ぶことが多いけども。
それにしたって、相手が○○教なのにけしからんとかいう話じゃない。
仏教徒の日本人が死んで悲しんでる外人が十字切って神に祈りを捧げていても別に咎めるやつはいないだろうと。

要するに「気持ちの問題」やね。

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