鬼熊事件

鬼熊事件は1926年(大正15年)千葉県香取郡久賀村(現多古町)で発生した殺傷事件
Wikipedia 鬼熊事件


荷馬車引きの岩淵熊次郎(鬼熊)は情に厚く、村人から信頼されていた一方で、妻と五人の子供がいるにもかかわらず惚れっぽく、女癖の悪いことでも有名であった。


大正15年、小間物屋のおけいと親しくなるが、鬼熊の知り合いでおけいの世話役の菅沼は情夫であった菅沢寅松との仲を進展させるために、過去のトラブルで被害届を出して鬼熊を逮捕させた。
三ヶ月後、釈放された鬼熊は事情を知って激怒し、8月20日おけいを殺害(寅松には逃げられる)、菅沼の家に火を放ち殺害、火事で人の出払った交番からパクッたサーベルで小間物屋の主人岩井長松を殺害、自宅に戻ったところを張り込んでいた刑事と格闘のすえ重傷を負わせる(後に死亡)、その後山へ逃亡する。


警察官、消防団青年団のべ5万人以上によって山狩りを行うも、鬼熊に世話になった村人たちは鬼熊をかくまったり、嘘の情報を流し捜査を撹乱したりの結果、40日あまりもの間逃げ続けた。(その間である9月12日、遭遇した巡回中の警察官を一人鎌でメッタ斬りにし殺害している)
新聞や雑誌は、女に裏切られた末の復讐劇として同情的に扱っていたようである。


9月28日、事の一部始終を話してから自殺するために記者たちを呼ぶが、途中で酒によって寝てしまう。
翌29日、首吊りや頸動脈切断を試みるも鍛えた身体があだとなり失敗。
30日、村人から差し入れられた毒入り最中を食べ、鬼熊はようやく自殺に成功する。


逃亡と自殺幇助の件で、村人や記者たちは裁かれるが、いずれも執行猶予つきの温情判決や無罪となった。


※見る資料ごとに、情夫寅松の生死やら倒した警官の数やら書いてることがちょっとずつ違うので、あくまで参考程度に。